。。。のツレヅレな感想と思い込み。。。

アカルイミライ、というタイトルを聞いた時に、本当に「明るい未来」の映画じゃあないな、、とは思ったのですが。 かの黒沢清が描く、明るい未来って? そしてその主演にオダギリが抜擢された。。こんな興奮する事はないです。 思えば、8ヶ月前の福岡のトークイベントで、初めてオダギリ本人の口から、この映画の話を聞いたのだったよね。 その時は浅野さんと共演するって事だけで、映画のタイトルも、監督すらも、わかっていなかったけれど、 浅野さんと、、ってだけで感涙したもんです。
待切れなくて、雑誌に少しずつ載りはじめた写真やアラスジをつなぎ合わせては、頭の中で映画を妄想したりしたのですが。。 さて、初めて観たその映像は想像したものとは勿論違ってました。そこにはすっかり黒沢色に染まったオダギリ=雄二がいて、 いやそれよりも物語り全体に心奪われてしまい、映画を観終わった後の言葉が出ないあの感覚、、。 それは実は何度も観た今でも、観ている最中も観終わった後も、ザワザワと常に胸騒ぎがする感覚に襲われてしまうんですよね。。
一般に「わかりにくい」と言われる黒沢映画。
でもどうだろ、今回はかなり違っていたような。 アカルイミライはいつもよりも登場人物の感情が露になっていて、ぐっと迫ってくる感じはありますけど、 必要以上には感情の共有を強要しない感じが、心地よかったり。 とはいえ。やはりいくつかのシーンでは、ボロボロとはいかないけれど、胸がジンワリしてしまい、涙ぐんでしまう私なんですが。 きっとその感情が揺すぶられる場面も、人によって違うのでしょうね。。。

オダギリ演じる雄二。 ぶすぶすと感情が燻って、キレやすいとは言っても、表にガーッと出すというより、自分自身に怒っているようにすら見える。。 唯一心を許す、というより慕いきっている守に文字どおり護られているわけですけど、 守はどうしてココまで雄二を大事にしてるんだろう。
カリスマの樹を、物凄い樹なんだと信じて世話をしている池内や役所の姿にも見えてくる。 (そうすると雄二はカリスマの樹になるわけだけど) イケとマテ、のサインを教え込もうとしたりする辺りは雄二は犬か?って感じだけど(笑) そのサインは最後迄ちらつき続けるんだよね。守の幻影と、クラゲと共に。。。
不安をずっと抱えているのは、多分、一見安泰に見える生活の所為だろうか。 この不景気に現金をどっさり与えられても、雄二には明るい未来の夢は見られるわけ はなく。ただドンヨリした未来に不安をつのらせるだけで。

浅野さんの守は本当にコワイ。 穏やかな笑顔を表面に張付けつつ、自分達に無遠慮に触れようとしてきた異物を躊躇なく抹殺してしまうんだもの。 刑務所の面会室でジッと動かないで顔の影だけが黒々と覆いかぶさっていく場面は、まさに黒沢ホラー。。
留まり続けようとする雄二にイケのサインを残して守は消えるけど、 気持ちのズレは守と雄二の間にも既にあって、そのズレに気付かないまま守の父の真一郎と暮らし始め、 取り付かれたようにクラゲを育てようとする雄二と、守の代わりを雄二に求めて親父らしい事を尽くしてやろうとする真一郎が、 観ていて微笑ましかったり、切なかったり。。。
お互いを理解し合えた、と思って近付くと、それはやはり幻で、ズレは永遠に存在し続ける。 ズレという溝が、ずうっとこの映画の登場人物それぞれの回りにあって、それは決して埋まる事もなくて、 でも何とか共存しているんだよね。 それは守と雄二もそうだし、雄二と真一郎もそうだし、真一郎と息子の冬樹の会話でもズレズレの会話が滑稽でおかしかったりね。 それでも人と人とが隣り合って生きていく訳で。 (藤さんの真一郎には本当、やられました。なんとも情けないけど憎めない。)

疑似親子みたいな生活を続ける雄二と真一郎の、唯一の繋がりは、守が残したクラゲで、けど、守はそんな関係が気に食わないのか、 クラゲの餌を育てる機械を壊しそれが原因で、この疑似親子は一時解散と相成るわけです。 そんな所にずっといるな。と雄二に伝えたいのか、、もしかしたら、親子の様に穏やかに過ごす二人に嫉妬したのか(笑)? どっちにしても、幻(監督お得意の幽霊かも)になっても自分の意志を通そうとする守は相当な我が侭者かも。
オダギリのウジウジどうしていいか分からない雄二が、また凄くイイ。。。暗い色気が漂ってて。 腹の底が、熱くて堪らないんだけど、吐き出し口が見つからない焦燥感。 そういうのって痛い程わかっちゃって、観ていてかなり辛くもあるんですが。。。

少年達と会社荒らしをしても、自分だけ逃げ帰って来たりして、何かをしてスカーッと掃き出すって事がやっぱり雄二には出来ない (もしかしたら、許されて無いのかも)。
「私は君たちの全てを許す」そう言って雄二を強く抱き締める真一郎のシーンは 何だか妙に迫力があったりしてドキリとしたりするんですが。。 許す。と言っても、これはきっと、「許さざるを得ない」んじゃないかな、なんて思ったり。 自分はもはや、先を行く世代に判決を下す権利はなくて、ただそれを見つめていくしかないんじゃないか、ていう。 許していくのが、自分達残された者にできる唯一の権利で。自分達は自分達の世界でやるさ、 だけど、「だから、ソッチは頼むよ」みたいなニュアンスも感じたのだけども。

また二人の穏やかな疑似親子関係が進むけれど、警告を出すように、クラゲの増殖が始まり、 徐々に何かに気付いていく雄二の表情の変化がよいんだなあ。 屋根の上に立ち遠くを見るけど、そこからはまだ何も見えない。 が、真一郎が河から海へ出ていくクラゲの大群を見つけ大喜びして、 「これで守の夢がかなったね」とはしゃぐ姿に、観客である自分も、多分雄二もお互いのズレにはっきり気付く。 触れてはいけないクラゲにとうとう触れて気を失った真一郎を抱えて、雄二は何かを見つけた。。 けど、それが何かは雄二にしか分からないんだろうな。。

雄二は何処にいったんだろう。
でも多分、イケのサインの先には少なくとも未来がある。それは進み続ける限り雄二の足下だけは明るく照らされているんだろうな。
残された真一郎と、残る事を選んだであろう守だけがそこに取り残されて。
「ずっとここにいてもいいんだよ」 それは守に言っているのかな。それとも雄二だろか。
青い扇風機のハネがぴたりと止まって、何故か私はそのシーンで胸が詰まるんですが。。

そして白いシャツにゲバラのお揃いのTシャツを来た少年達が表参道を歩く姿に心を奪われてボーッと観ていると、 ここで初めて、
「アカルイミライ」
というタイトルが現れて、ハッとする。 長いプロローグが終わって、これから新しい物語りが始まるような。
「私のアカルイミライはこんな感じですが、あなたたちのアカルイミライはどんなですか?」 と最後に問いかけられてるようで、ああ、だからこの映画は観た後にザワザワと気持ちがざわつくのだな。。と思うのです。
真っ白い画面に、前を見据えて歩く少年達と、撮影陣も映り込みしていて、、なんて言うか、、 これは凄いものをみてしまったんだなあ、、、と。
バックホーンの『未来』を聞き乍ら、白い画面を見つめていると3人の男達の物語がまた蘇って、 さらに自分のいる現在も思い起こされて2次元を越えた世界をそこに感じてしまう、なんて言うと大袈裟かな。

いやはや、そのまままたざわついた気持ちをずっと抱えて、ああでもない こうでもない、とアカルイミライという映画に心を奪われたままなんですが。

オダギリ初の主演映画が、自分にとってこんなにも素晴らしい映画になったのが何より嬉しくて、 また、黒沢清監督の待望の2年ぶりの新作である事や、今回は「曖昧な未来」というメイキング映画すら製作されて、 それを観る事ができるというのが、ファンとしてはただの偶然じゃ無いオダギリの運命の流れの強さとか そう言うものすら感じてしまって、ただひたすら感激してしまうんですな。。

黒沢監督の映像はいつも墨を落としたような色合いで、それが今回は更に黒が潰れる程に真っ黒で、 そこに青と、クラゲの淡く光る赤が、何とも言えないコントラストで、本当に美しい映画です。 実際、映像だけで、私の場合涙腺が弛んでしまうんですわ。(変かな?)
更にまあ、、北村道子さんの衣裳のスバラシサ。最初は衣裳が浮くんじゃないかとさえ思ったのだけど 少しファンタジーな要素すらあるこの物語りにピタリとはまって、しかも色気満点で(笑)まあ最高の化学反応を起こしたもんです。

なんてほとんど粗筋感想みたいなお粗末なモノになってしまったのだけどどうも未だに「わかろうとして」観ている自分がいまして。 それはもう仕方ない事なんだけど、分かろうとしている事が、この映画のテーマに反している事もわかってはいるのですが、、、 やめられない。そこが黒沢映画の好きな所なんですが。

ああ、結局アカルイミライ、としての感想になってしまいました。ウウ。 また後、多分。。オダギリ雄二のココが好きなんだーっ、なんて、かるーい(笑)レポなんぞしてしまいたいと思ってます、ハイ。。
駄文長文におつき合い下さってありがとうございました。
 
                                                 kyomii 1/25/03
         *これは2003年1/25現在の私のアカミラ感想だけども、多分、明日になったら
          また感覚が違って来るでしょう。。何とも無責任ながら、どうもそういう映画みたいです。
          ので、とりあえず、今現在のkyomiiの受けたアカミラ感。。って事でご理解頂けると嬉しいデス。。




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