■ぼくらはみんな生きている■ 2003/9/18放送/テレビ朝日 ![]() て事で、まあベタなんですが(笑)、 クマまみれな修一があまりに可愛すぎたので。 や、確かに原作にも部屋がヌイグルミだらけになったエピはありますが、 この図は狙い過ぎだよね。ファンサービスかしらん。 (その後に妹に言葉を教わっている場面で机に3つ、 色違いでちゃんとおいてあるのがまた妙にツボでした。) |
ずばり、母性本能くすぐり演技させたら無敵なオダギリ。。 記憶を全て失って、赤ちゃんのようになってしまった修一は 反則とも言える程の無垢な魅力いっぱいでした。。 しかし本当に難しい役だったと思う。 こんな経験、本人以外には想像しにくいだけに 説得力のある演技を見せるのは至難であったろうな。 原作は、坪倉さん御本人の当時の『見た世界』を素晴らしい文章にされていて、 まさにその文章を読むこちらも、まるで見た事のない世界を体験しているような新鮮さを感じる事が出来るんですよね。 この本の凄い所って、記憶を失った彼が成長していく姿も感動的だけど やはりものごとを無から見つめ直したような表現にあったのだろうな。 けど、今回のドラマ化は、修一目線のモノローグも残してあるものの、 殆ど周りの家族の目線で物語を綴っていく形になっているから、 何故記憶喪失しただけで、表情や動きすら変わってしまうのか、とか ナレーションで補助はしてあるものの、原作より伝わり難かったんじゃないかなあ。 それだけにオダギリは悩んだろうし、プロデューサーとも表現法でぶつかったようだし、 相当苦労したみたいで。 でも、原作とは違う魅力がドラマにはちゃんとあったと思うなあ。 ドラマの目線が、修一を囲む人たちだったからこそ、原作の坪倉さんのお母さんや周りの人たちが 本人の頭の中で一体何が起きているのか全く分からない状況を、 手探りで根気よく愛情をもって接していたのと同じように、 見ている自分も見守っていけた気がするんだなあ。 どっぷりと役に入るオダギリって、ジュンさんも仰っていたけど表面だけでなく、それこそ頭の中もからっぽにしたかんじ。 なんでそんな事で驚くの?とか なんでそんな歩き方するの?って 普通に考えて想像つかない動きとか、、反応をね、 そんな修一と付き合っていったジュンさん達と同じように 見ているこっちもドキドキして驚いたりしてね。 もしかしたらオダギリすら、何故そういう動きになるのか分かって無かったりするかもね。 頭ん中修一になりきって、そしたらそういう動きになった、ていう。 そんなオダギリの予想もしない動きを、本当に介護するような気持ちで演技したというジュンさん。 ジュンママと、オダギリ修一の場面はどれもいちいち涙腺が緩んでしまったなあ。 その場面ごとのシチュエーションで気持ちを持っていかれるのもあるんだけど、 オダギリの表情、、特に目ね。目でやられます。いつもの事だけど。 やっぱり捨て犬みたいなあんな目でみられるとね。キューンとね(笑) ジュンさんとの場面の他に、個人的に大好きな表情は、一人暮らしの相談をしてお父さんに許しをもらう場面。 あの時の、微妙な表情は一瞬だけど素晴らしいス。何故かそこだけで胸が一杯になるです。 それにしても、、好きなタイプの役者さん揃いで嬉しかった。 とりあえず、みんな『犬系』顔なのがポイント高。 沢村ファミリーショットって、見ててほわーんとしちゃうもんねえ。 2時間枠で7年間のお話だと、時間の流れを追うのがメインになってしまった部分もあって 折角のナイスキャスト、いい原作なのに勿体無かったかなあ、とも思うけど 濃い(?)オダギリが見れてファン的にはかなり満足。。 最初にも書いたけど、ほんっっと、27になってこの純真無垢な子供の目をするよね。 やーもう、ジュンママになって抱き締めたいっす(笑) 10/3/2003 kyomii |